終了しました!


毎年8月15日から見て最初の週末に開催してきたcat’s heaven...!も今回で三回目になります。この企画は吉田と原田が中心になって企画し、毎回多くの方の協力によって開催してきました。
今回の『cat’s heaven...! on paper』は新聞から着想を得ています。戦時中国家の圧力によって不本意な合併をさせられた新聞はもちろんのこと、それまで新聞とは全く関係なかった方々も加わり、新しい新聞の創刊が相次ぎました。
『cat’s heaven...! on paper』は下記枠内の篠昭好の文中にもありますように「『誰かから発信されたもの』が『誰かに受信される』」という関係を可視化しています。
会期は夏の暑い盛りの頃ですが、是非ご来場ください。宜しくお願い致します。

吉田和貴
http://www.archi-pelago.net
http://www.archi-pelago.net/exhibition/exhibition_next.html

gallery Archipelago
Access
東京メトロ日比谷線東西線茅場町駅徒歩10分, 東京メトロ日比谷線・JR八丁堀駅徒歩10分
10 minutes walk from Kayabacho station on Tokyo Metro
Hibiya and Tozai lines, 10 minutes walk from Hacchobori
station on JR/Tokyo Metro Hibiya lines.

Address
〒104-0033 東京都中央区新川1-9-9 栗原ビル2F

Kurihara Bldg. 2F, 1-9-9 Shinkawa, Chuo-ku, Tokyo
104-0033
Phone: 03-3206-7116 Fax: 03-3206-7116
E-mail: info@archi-pelago.net

自分のことから話そうと思う。

小学生の頃、学校で壁新聞を書かされたことがあった。運動会のスローガンや、○○先生が骨折した事や、学校で飼っているウサギに子供が産まれたことなど、その月の出来事を大きな模造紙に書いて廊下などに張り出す、あれのことだ。文字が上手く書けなかった私は、この当番が回ってくるのが憂鬱でしかたなかった。もちろん、いくら私が憂鬱になってもちゃんと順番は回ってくる。放課後、私の班は編集会議を開き、それぞれの担当を決める。私の担当は、模造紙下部の端っこ「今年もプール開き」という小さな記事だった。プール開きはみんな参加していたし、何よりもう一ヶ月近く前の出来事だ。それを誰も見ないであろう新聞に書き出して、何の意味があるのだろう。散々やらない理由を考えたが、結局書き終わらせないと遊びに行けないので、私は渋々書き出した。○年○組の何とかさんがプール開きを宣言、○○先生がプールに落ちる、○○さんが気分が悪くなり倒れる、等々書いていくうちに、書かねばならないと思われることは、どんどん増えていき、与えられたスペースはどんどん手狭になっていく。文字は最初から比べると三分の一ぐらいになってしまい、行間は乱れ、それでも収まりきらずに、枠の外にもはみ出していく。結局私は、みんなに文句を言われながら、下校時間ギリギリまで、必死にプール開きの記事を書き続けた。そのあと、あの壁新聞は一ヶ月ぐらい廊下の隅に張り出されていたのだろう。私は、自分のぐちゃぐちゃの記事を見たくなかったので、あまりまじまじと見た記憶はない。何故、私はあそこまで熱中したのだろう。理由は分からない。それでも私は、たぶん、誰かに何かを伝えたかったのだろう。

「日本は戦争が終わっって、出版ブームになったらしい」という話を聞いて、私はすっかり忘れていた、そんなことを思い出した。

プランゲ・コレクションというものがある。戦争終結後に日本で出版された印刷物をGHQが検閲目的に集めたもので、検閲官を勤めていたプランゲ博士が、本国に持ち帰り保存してあったものだ。その膨大な量(米陸軍のコンテナ500箱。雑誌約13,000種、新聞約16,000種。)の印刷物は、有名新聞や雑誌はもちろん、村の青年会、住民団体労働組合、公民館等がガリ版刷りで発行した、おびただしい数のパンフレットやチラシ、地方新聞などが含まれている。

たぶん我々のおじいちゃんぐらいに当たる人達は、敗戦という巨大で暴力的な出来事の後で、一斉に声を出し始める。私は彼らの事を想像する事は出来るだろうか?

ある日の正午、4分程度のラジオ放送が流れた事で、世界は変わってしまう。それまでの世界とは違うという事を、机や椅子のようにしっかりとした存在として感じる事が出来る。しかし、新しい世界の形は、布の上からキュウリを触っているみたいに、色も形も、生き物かどうかさえ分からない。そんな不確定で流動的な世界。そんな場所から、彼らは自分たちの声を発信し始める。新聞や印刷を武器に、誰かの声を聞きたいという気持ちと、誰かに向かって話したいという気持ちを発信し始める。その発信された声が何処かの誰かに届く事で、今はまだ分からない、新しい世界の形を引っぱり出すことが出来るかもしれない、そんなことを夢見ていたのではないだろうか。やはり、私には彼らの時代を想像することは出来ないと思う。それでも、もしかしたら、壁新聞を必死に書いていたあの頃の自分と、何処かずっと奥の方で繋がっているのかもしれない。あの時、我々のおじいちゃんも、誰かに何かを伝えるためにガリ版をコリコリ削っていたのだから。

「cat's heaven...! on Paper」は「誰かから発信されたもの」が「誰かに受信される」という構造を、端的な形で視覚化しようと試みている。

今回、彼らの展示は、紙媒体の印刷にこだわる。彼らは、多くの人から持ち寄ってもらった表現物を、ガリ版よりはハイテクノロジーゼロックスコピーで印刷していく。その過程は、全てのものを同じ「紙」というフォーマットに変換していく作業であり、それは個々が持っている物理的な制約から、表現を抽出していく作業でもある。そして、それらは壁に展示され、来場者は新聞の号外を受け取るように、壁からそれらを引き千切って持ち帰る事が出来る。彼らは、表現を壁から引き千切る行為を通して、今のメディアでは見えづらくなってきた、「誰かの声が誰かに届く」という無根拠な希望を、再発掘しようとしているのではないだろうか。

私は、たぶん会場の壁に貼られた紙を剥がして、家に持ち帰る。そのペラペラの紙を見たとき、67年前におじいちゃんたちが持っていた無根拠な希望に、そして壁新聞を書いていた自分にもう一度出会えるのかもしれない。

篠 昭好